011112wadaa  和田明子

 

 

 

 

 

 

 

戦況の情報公開

 

 


10月21日、アメリカ合衆国はアフガニスタンでの戦況の情報公開が完全にされていない事実をほのめかした。これは10月19日に200人という特殊部隊を投入して行われた地上戦以来、その情報が途絶えがちになっていることが何よりの証拠であろう。

遠い異国の地であるアフガニスタンでの戦況を、個人がリアルタイムで知ることはこのIT時代といえども難しい。従って、マスコミや政府が「10人の死傷者が出た」という発言をすれば、一般の国民はそれを信じるしかないのである。いくらその疑問にたいして「?」を投げかけたとしても、答えはどこにもない。

一般の見解では、今回の戦争はアメリカの圧倒的有利という。しかし、その根拠はマスコミが提示しているものにすぎないのも事実だ。

かつて太平洋戦争時に日本国が敗戦濃厚な事実をひたすら隠し、あたかも戦況は好ましいかのように記述していた、という歴史もあるように、情報というものはいくらでも操作が可能である。アフガニスタン筋によると、かつてソ連軍が苦戦したように、この冬の寒さをアメリカ兵は絶えられないという。今日の日付は10月21日、日に日に寒くなっていく季節の中で、5000メートル級の山々の中の寒さは想像を絶するモノであろう。アメリカ兵はその寒さにどこまで苦戦するのか想像もつかない。

一部の情報では、19日に始まったこの戦闘は、今もなお、続いている可能性があるという。しかし、その事実は未だ我々の元へと届いていない。

これほどの大きな戦争を起こし、各国に援助をもらっているアメリカ。私はそのアメリカは私達に情報公開をする義務があるとおもう。確かに、秘密裏に行わなくてはいけないミッションもあるかもしれないが、事実を隠さずに自国兵が死傷したときも正確に伝えるべきだと思う。たとえ、戦況が好ましくなくても。

今、私達にできるのは、マスコミや政府が流した情報を信じ込むしかないのだろうか?

 

http://www.kokugai.com/ny_war19.html

 

このニュースの中の一連の報道で、こういったシーンがあった。パレスティナの市民がアメリカ合衆国がテロによって攻撃された、というニュースを聞いて飛び上がって喜び、まるでお祭りのように騒いだ、というもの、アメリカのどのテレビ放送局でも報道され、日本でも多くのテレビ局がこの映像を流しただろう。「アメリカ合衆国民が深い悲しみに包まれているのに、多くの犠牲者が出たのに、それを見て大喜びする遺憾な国民」というイメージを多くの視聴者は持ったことだろう。

しかしこの映像が虚像だとしたら、どう思うだろうか?誰もこの映像に「?」を投げかけた人はいないのではないだろうか?なぜかというと、この映像自体がマスコミによる情報操作の可能性が強いからだ。

テロが起きたニューヨーク時間の8時45分、中東のパレスティナは夕方にさしかかる時間だったはずだ。しかも、そのテロが起きた瞬間にパレスティナにまで情報がながれていたったとは考えづらい。どうしても一時間程度は時差が発生しているはずである。そう考えると、この喜んでいる映像は9月11日という時期から考えると暗くなっていてもおかしくない時間帯である。しかし、この映像はしっかりと昼間の様子を写し出していた。

不確定な情報ではあるが、この9月11日という日にパレスティナではお祭りが行われていた、との情報がある。とすると、市民が喜んでいたのはテロに賛成して喜んでいたのではなく、お祭りのために騒いでいただけに過ぎない、という仮説が成り立たないだろうか?

あくまで仮説の域を出ないが、どうしてもそういう可能性が浮かんでくる理由として、アメリカは当初、このテロがパレスティナの犯行による、という見方を強めていた。そのため、国民にどうしても、あの真珠湾攻撃のような団結力、結束力を持たせたかった、という理由付けができる。「アメリカ国民がこんなにも犠牲になっているのにそれを見て喜んでいる奴らは人間じゃない」、そう怒りを抑えきれなかった人もいるはずだろう。知り合いにもかなりそういった人達がいた。「パレスティナ人を許さない」そう強く言う人さえいた。

もし、このテロの犯行がパレスティナによるものなら、アメリカ人は志願制をとっても十分な兵力を集められただろう。それほど、この国の結束力は強くなった。CNNがとったアンケートによると、94パーセントの国民が「軍隊による制裁をくわえることに賛成」との見解を示した。つまりはこのパレスティナの映像がアメリカ国民を怒らせるのに十分な映像だった、と考えても良さそうだ。

結局、犯人はアフガニスタンのイスラム原理主義勢力、タリバーンに属するオサマビンラディン氏による犯行という見方が強くなってしまったが、未だにこのパレスティナの映像にたいして遺憾におもっている人達も多いだろう。

はっきりいって、この映像が事実かどうかは私には知ることはできない。実際にその時パレスティナにいた人にしか真実を知る由はない。しかし、日本人を始めアメリカ人もこういった報道を「真実」と思い込む。アメリカの情報操作が見えてくるような気がした、ニュースだった。

ニュースだろうが、テレビだろうが、新聞だろうが、ラジオだろうが、間違っている時は間違っているのである。しかし、特にマスコミというものは、「間違っていました」という記述をすることは少ない。そのために、いつまでも私達の心の中にはそれらの誤報が真実として認識されていくのだろう。

いつでもマスコミに「?」を投げかけて欲しい。この雑記にもそうだが、必ずすべての情報に「?」を投げかけ、自分なりの意見、見解を創り上げて欲しいと思う。この雑記も正しいかどうかわからないし、間違っているかどうかもわからない。あくまで一つの情報であり意見なのだから。

http://www.kokugai.com/zakki_media2.html

 

 

 

 

現在日本には膨大な量の情報が飛び交っている。その全ての真偽を確かめるのは大変難しいことだ。特にこのインターネットなどのいわゆる「IT」の場合、誰もが自由に書き込むことができ、しかも匿名性がある。よってその情報が正しかろうと間違っていようと、投稿した個人には何の責任もない。思ったことをそのまま書くことができるのだから。そんな中で、すべてのこのような情報が正しいと判断するのはあまりにも軽率ではないだろうか。だが、少なくとも日本人はあまりに情報を簡単に信じるという傾向があるのではないだろうか。

 

 私事だが、私は高校時代に新聞部に所属していた。そのとき、「情報操作」までは行かないが、自分の思ったとおりに情報をコントロールするというのはよくやっていた。簡単なことなのである。取材の際、相手の意見を聞く場合でも、「どう思いますか?」とは決して聞かない。自分の中で方向性を前もって決めておき、取材の日取りが締め切り間近な時などでは、すでに記事は完成させておく。そして取材の際には、完成してしまった記事の内容に合わせて相手にAといってほしいなら「Aだと思いますか?」と聞くのである。そうすると、簡単に「はい」と答えてくれる。また、「いいえ」といった場合でもなんとか“Aといえなくもない”と言ってくれるように聞き方を変えていくのである。そうすれば、もうこっちの思つぼである。たったそれだけで、自分の思ったとおりに記事を書けてしまうのだから、楽なものである。(もちろん、重要な取材では決してそんなことはしないが)

 自分でもそんな経験があるので、私は取材の記事には敏感である。言った言葉がそのまま活字になる対談などはさておき、殆どの取材記事ではこのようなことが行われているだろう。ただ、上に書いてある通り、本当に映像までごまかしていたとしたら、それはやりすぎだ。それは「捏造」に他なく、自身の信用問題に関わる。しかも、国家ぐるみでやっていたとしたら、それはもう救いようがない。国際社会で孤立するのは目に見えている。そうなったら、当事国の米国はどうするのであろうか。また武力で解決するのか、それともうそにうそを重ねるのか。どちらにしてもよい結果とはならない。

私たちはもう、自らの目しか信用できないのではないだろうか。うそをつくのも簡単ならそれを隠しとおすことも簡単な時代である。